ほそぼそと生活する

旅行先のことや好きな映画のことを語ります。

【映画感想】花束みたいな恋をした


本記事には映画のネタバレを含みます。


あらすじ

たまたま逃した終電で
たまたま出会った二人、絹(有村架純)と麦(菅田将暉)。


押井守を知っている二人、
イヤホンが絡まる二人、
同じ日同じライブを逃した二人、
これが「運命」なんだと感じた瞬間、二人は必然的に恋に落ちた。


誰もが経験しうる、付き合う前のドキドキした気持ち。
会えない間に相手のことを考え、
恋を自覚し思いを伝える。


かつてない幸せな瞬間はずっと続いていくかもしれないし
それが突然終わりを迎えることもある。
少なくとも幸せな頃の二人には終わりは見えなくて、想像も出来なかった。
けれども、ふとその終わりはやってくる。
やってきたときにはあっという間で、思い出だけが残る。


この映画、カップルで観ると別れると話題(?)らしく、
かくいう私もなんだか怖くて観ることが出来なかった。
悩んでいた時期は、予告編を見て泣いた。
多分観れないだろうなとその頃は思っていた。


いつかは観たいと思っていたけども、今日ふと思い立って観てみることに。


なぜこの映画を観て別れるカップルが多いのか?というところに着目して
感想を述べたいと思います。


決別へのハードル

結論から言うと、この映画を観て別れるカップルが多い理由は
決別へのハードルが下がり、
別れるということに対して前向きになれるから、ではないかと。


これは、別れる気が無かった人がそういう気持ちになったというよりは、
別れが頭を過っている、もしくは迷っている人の後押しをしている、ように思う。
でも迷いや不安なんて誰しも起こりうるわけで、
全く不満なく付き合っているという人の方が少ないのでは。
そういった状況下で、”カップルの別れ方”の綺麗なお手本を観てしまうと
これで別れるのは何も悪くないんだ、
付き合い続けてハードル下げなくてもいいんだ、と感じるようになる。


そうして、このまま付き合い続けていいのかな?
という気持ちを起こさせるのではないかと思う。


共感

運命を感じるだとか、価値観があうとか、恋に落ちる瞬間のことだけではなく、
すれ違い始めたときの、お互いに気は遣っていながらも
距離が出てきている現実を突きつけられる状況。


個人的に刺さったのは、絹ちゃんがゲームをしているときの、二人。
絹ちゃんは「ちょっとだけやってみる?」
麦くんは「大きい音でゲームしていいよ」
痛いほどわかる。
男女との違いとも言われるものなのかもしれないが、
二人で一緒の時間を共有したい絹ちゃんと、
自分なりに責任を果たそうとする麦くん。
その中で、お互いがお互いを思いやっているのも見て取れる。それが尚辛い。


終盤の、恐らく久方ぶりに体を重ねた時間。
その時に二人は恋をしていた気持ちを忘れてしまったことを自覚したのだと思う。
愛し合う者たちだけが幸福を感じるそのひと時に
二人が感じてしまった違和感は拭えないものになったのだろう。


別れ話になった時、やっぱり一緒に居たいと言った麦くんの気持ちも理解できる。
きっと、同じような感情で結婚している人も山ほどいるし
それでも上手くやっていけるような気もする。
でも、自分たちが出会った頃に似た知らない男女を見た時、
あの頃にはもう戻れないと二人は気づいてしまった。
その時の二人の中にはもう、別れないという選択肢は残っていなかったと思う。


別れ

付き合いが長くなってくると、別れ方がわからなくなる。
今更なんて言って別れたらいいのかわからない。まさに別れ方がわからない。
こんなに長く付き合ったのだから、という気持ちもある。


そんな中で二人が見せた別れ方は、悲しみよりどこか前向きで、
未来は明るいと思わせてくれる。
辛いはずの過去も楽しかった時間に変わる。
そういう気持ちを抱かせるところが、何より悩む恋人たちに響くのかもしれない。


別れたらきっと、何をみても、ふとした時に
過去の人を思い出すことがあるかもしれない。
それでもいいじゃないか、今を生きてれば。
そう思わせてくれるところにも魅力を感じる二人でした。


おわりに

面白かったです。
なんとも現実味溢れるというか。
性格的に自分が好きになるタイプかとかはどうでもよく、
二人に共感できる人には特に刺さる映画だと思う。


長く付き合おうが、別れって案外あっさりなんだろうなとずっと思っていて、
それがこの映画でも感じた部分の一つでした。
価値観や考え方って変わるものですし、
すれ違いや別れって誰しもどんな時でも起こりえるものなのだろうなと思います。


何が正解かはわからないけれど、
悩み続けるよりは行動するのも良いと思えました。