ほそぼそと生活する

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【映画感想】八日目の蝉



本記事は映画のネタバレを含みます。


あらすじ

自らが母親になれない絶望から、希和子(永作)は不倫相手の子を誘拐してわが子として育てる。4歳になり初めて実の両親の元に戻った恵理菜(井上)は、育ての母が誘拐犯であったと知り、心を閉ざしたまま成長する。やがて21歳になった恵理菜は妊娠するが、その相手もまた家庭を持つ男だった……。


八日目の蝉 : 作品情報 - 映画.com


映画は、裁判所での希和子と希和子の不倫相手の妻(秋山恵津子)の答弁から始まる。愛する我が子を奪われた辛さ、帰ってきた子どもの心は誘拐犯にある事への嘆き悲しみ。実母の辛さは計り知れないことがわかる。


一方で、誘拐犯である希和子もまた、薫と名付けたその子を何より愛し、育てていた。そこに秋山夫妻への謝罪は無く、ただあるのは薫と一緒に居られたことへの感謝だった。
物語は、成長した薫(恵里菜)が希和子と過ごした地を訪れながら、希和子と薫の回想シーンと共に進んでいく。


正気とは思えない希和子の行動だが、そこに確かに築かれた親子の愛には、感情移入せざるをえない。なんとも凄い映画だったなと思う。


希和子の子ども

希和子は不倫相手の子を宿し、本妻と離婚できない不倫相手には中絶を勧められ、泣く泣く子どもをおろすことになってしまう。そうして子どもが出来ない体になってしまった希和子は、ちょっと一目見るだけのつもりだった不倫相手の子どもを、どうしようもなく羨ましく、そして愛おしく思ってしまった。


不倫をしていた希和子の行動は正しいとは言えないかもしれないが、自分の子どもを身ごもったことを何より喜んでいた希和子が、その子を手放すなんてことがあってよかったのだろうか。赤子を一目見て、抱くその瞬間まで、悔やんでも悔やみきれない後悔があったのだと思う。全てを忘れて、この子を愛したいと思ってしまった希和子の心は、もう希和子自身で歯止めを利かせられなくなっているほどに強くなってしまっていたことがわかる。


幸せな思い出

我が子の薫として育て上げることを決心した希和子は、誘拐犯とばれないよう、二人で過ごせる場所へ転々としていく。薫を守り、薫を愛し、時には色んな景色を見せていった。薫と希和子が過ごした幸せと思える日々が確かにそこにはあった。


薫、もとい恵里菜が成長して希和子と過ごした地を訪れた時、希和子と撮った写真を見たとき、思わず涙してしまっていた。恵里菜が最後に言葉にした「ここに戻りたかった」という本心は、恵里菜自身がずっと心に閉じ込めていて、周りに閉ざされていたものだった。
なかなか自分を実母と認めてくれない恵里菜に心を折られてしまった実母、不倫相手が起こした行動に後ろめたさを感じる実父、両親の辛さは子に伝わってしまう。世間は実の両親に戻ったことが良かったことだと、誘拐犯は極悪人だったと報じている。4歳というと、記憶があるか無いか、そのぐらいかもしれない。けども4年間過ごし愛してくれた人がいた事実は心に残り続けていたのだと思う。


最後に恵里菜が自分自身に本音を打ち明けられて、傍にいてくれる人が出来たことで、これからの生き方を前向きにとらえられるようになったのではないだろうか。自分が受けたように、生まれてくるその子にも愛を注いでいきたい。そうやって、初めて親が子を愛する気持ちに、希和子や実の母親の気持ちに気づかされていたように思えた。


おわりに

涙なくしては観られない映画でした。
永作博美さん演じる野々宮希和子が本当に素晴らしく、心打たれました。また、恵里菜が一緒に過ごした千草役の小池栄子さんもとても良かったです。
なんとなく変わっていて、でもその時の恵里菜に寄り添える唯一の存在。何より、最後にお母さんとお父さんにも子どもを見せようと言ってくれたのが凄く良かった。もちろん恵里菜の人生は恵里菜自身のものでどう選択するかは本人次第だけども、苦悩していた実母に、恵里菜自身の愛が伝わればいいなと思う。


ドラマ版も評価が高いようなので、いつか観てみたいですね~。



余談ですが、先日このブログをスマホから見てみると、文章が中途半端なところで改行されて非常に見づらかったので、書き方を変えてみました。文章の下手さは変わりませんが…

【映画感想】花束みたいな恋をした


本記事には映画のネタバレを含みます。


あらすじ

たまたま逃した終電で
たまたま出会った二人、絹(有村架純)と麦(菅田将暉)。


押井守を知っている二人、
イヤホンが絡まる二人、
同じ日同じライブを逃した二人、
これが「運命」なんだと感じた瞬間、二人は必然的に恋に落ちた。


誰もが経験しうる、付き合う前のドキドキした気持ち。
会えない間に相手のことを考え、
恋を自覚し思いを伝える。


かつてない幸せな瞬間はずっと続いていくかもしれないし
それが突然終わりを迎えることもある。
少なくとも幸せな頃の二人には終わりは見えなくて、想像も出来なかった。
けれども、ふとその終わりはやってくる。
やってきたときにはあっという間で、思い出だけが残る。


この映画、カップルで観ると別れると話題(?)らしく、
かくいう私もなんだか怖くて観ることが出来なかった。
悩んでいた時期は、予告編を見て泣いた。
多分観れないだろうなとその頃は思っていた。


いつかは観たいと思っていたけども、今日ふと思い立って観てみることに。


なぜこの映画を観て別れるカップルが多いのか?というところに着目して
感想を述べたいと思います。


決別へのハードル

結論から言うと、この映画を観て別れるカップルが多い理由は
決別へのハードルが下がり、
別れるということに対して前向きになれるから、ではないかと。


これは、別れる気が無かった人がそういう気持ちになったというよりは、
別れが頭を過っている、もしくは迷っている人の後押しをしている、ように思う。
でも迷いや不安なんて誰しも起こりうるわけで、
全く不満なく付き合っているという人の方が少ないのでは。
そういった状況下で、”カップルの別れ方”の綺麗なお手本を観てしまうと
これで別れるのは何も悪くないんだ、
付き合い続けてハードル下げなくてもいいんだ、と感じるようになる。


そうして、このまま付き合い続けていいのかな?
という気持ちを起こさせるのではないかと思う。


共感

運命を感じるだとか、価値観があうとか、恋に落ちる瞬間のことだけではなく、
すれ違い始めたときの、お互いに気は遣っていながらも
距離が出てきている現実を突きつけられる状況。


個人的に刺さったのは、絹ちゃんがゲームをしているときの、二人。
絹ちゃんは「ちょっとだけやってみる?」
麦くんは「大きい音でゲームしていいよ」
痛いほどわかる。
男女との違いとも言われるものなのかもしれないが、
二人で一緒の時間を共有したい絹ちゃんと、
自分なりに責任を果たそうとする麦くん。
その中で、お互いがお互いを思いやっているのも見て取れる。それが尚辛い。


終盤の、恐らく久方ぶりに体を重ねた時間。
その時に二人は恋をしていた気持ちを忘れてしまったことを自覚したのだと思う。
愛し合う者たちだけが幸福を感じるそのひと時に
二人が感じてしまった違和感は拭えないものになったのだろう。


別れ話になった時、やっぱり一緒に居たいと言った麦くんの気持ちも理解できる。
きっと、同じような感情で結婚している人も山ほどいるし
それでも上手くやっていけるような気もする。
でも、自分たちが出会った頃に似た知らない男女を見た時、
あの頃にはもう戻れないと二人は気づいてしまった。
その時の二人の中にはもう、別れないという選択肢は残っていなかったと思う。


別れ

付き合いが長くなってくると、別れ方がわからなくなる。
今更なんて言って別れたらいいのかわからない。まさに別れ方がわからない。
こんなに長く付き合ったのだから、という気持ちもある。


そんな中で二人が見せた別れ方は、悲しみよりどこか前向きで、
未来は明るいと思わせてくれる。
辛いはずの過去も楽しかった時間に変わる。
そういう気持ちを抱かせるところが、何より悩む恋人たちに響くのかもしれない。


別れたらきっと、何をみても、ふとした時に
過去の人を思い出すことがあるかもしれない。
それでもいいじゃないか、今を生きてれば。
そう思わせてくれるところにも魅力を感じる二人でした。


おわりに

面白かったです。
なんとも現実味溢れるというか。
性格的に自分が好きになるタイプかとかはどうでもよく、
二人に共感できる人には特に刺さる映画だと思う。


長く付き合おうが、別れって案外あっさりなんだろうなとずっと思っていて、
それがこの映画でも感じた部分の一つでした。
価値観や考え方って変わるものですし、
すれ違いや別れって誰しもどんな時でも起こりえるものなのだろうなと思います。


何が正解かはわからないけれど、
悩み続けるよりは行動するのも良いと思えました。


【映画感想】博士と彼女のセオリー

ネタバレを含みますのでご注意ください。


今日もアマゾンプライムでおススメに出てきた映画を
何と無しに観てみたら、とても良かったので感想をば。


あらすじ

類まれなる頭脳を持つスティーブンは
大学院在学中にジェーンという女性と出会い、二人は恋に落ちる。
そんな時、スティーブンがALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断され、
余命2年と宣告されてしまう。
思考や頭脳は衰えないと知らされたスティーブンは、
命ある限り研究に専念することを決意し、ジェーンもまた、
覚悟を決めてスティーブンを支える道を歩むのであった。


この話は実話に基づいたストーリーである。
彼の才能を世に広めるためには、彼の頭脳だけでは足りない。
歩けなくなり、言葉を発することもままならなくなった彼を
誰よりも理解しようとしたのは、妻ジェーンの存在だったように思う。


夫婦の形

当初、あらすじもあまり観ずに、
またスティーブン・ホーキング博士の事もほとんど知識として無かった私は
よくある”恋愛映画”かな、という程度にしか思っていなかった。


この映画を観ていて思い浮かんだのは、『ビューティフル・マインド』。
かの映画もとても印象深く私の思い出に残っていて、
夫婦での葛藤や苦難というのは計り知れないものがあると感じさせられる。



ただ、この映画でいう夫婦の形はまた少し変わっている。
しかしそれが必然だったのではないかと共感させられる部分が多い。


長年にわたり連れ添う夫婦との間に、夫を介護し続けるジェーンの心の中に、
限界や疲労が出てくるのは当然であった。
歩けない、一人では食事がとれない夫スティーブン。
それに加えてまだまだ育ちざかりの子供たち。


そんな中、ジェーンが出会った一人の男性ジョナサン。
彼は妻を一年前に亡くしており、傷心していた。
そんな感情をスティーブンに漏らす。
スティーブンはどう思っただろう。
自分がもし死んだら?彼女は十年以上支え続けてくれている。
けれどもそんな彼女も辛そうで、限界もわかっている。
自分ももちろん、彼女にも助けが必要だった。


子供たちもジョナサンにはよく懐いた。
ジョナサンもまた、懸命にスティーブンを支えてくれている。
ジョナサンの存在が、スティーブンにとってもジェーンにとっても
必要であると、誰よりも夫婦が理解していたように思う。


以下引用

ジェームズ・マーシュ監督は言う。「3人の大人たちの間に醸し出される美しいハーモニーを表現したかったんだ。ジェーンとジョナサンは、2人に共通する“渇き”から、どうしようもなく恋に落ちてしまい、それはスティーヴンも認めざるをえないものだったんだよ」。


ホーキング夫妻を支えた…常識を超える“三角関係”の秘密『博士と彼女のセオリー』 | cinemacafe.net


映画の中でも、その表現は確かに響いた。
単純な浮ついた感情という言葉にするには事情が複雑だと思う。


愛の表現

昨今、日本では特に介護うつなどが問題として取り上げられることが多いが、
作中のジェーンの献身ぶりは脱帽ものであった。
何より、彼の才能を病気で閉じ込められないように懸命に努めていたことは、
世間からの彼の評価にもつながったのではないかと思う。
作中ではそう感じました。
声が発せなくなっても、彼の言葉を表現する方法を考え、
彼の気持ちを誰よりくみ取ろうとしていた。


動けなくなった彼との間にできた子供はジョナサンの子ではないか、
そう噂されるのも傍から見れば無理はないかもしれない。
でも誰もが思っているよりも、ジェーンはスティーブンのことを愛していて
それが病気によって変わるものではないことをジェーンが何より理解していた。


ジョナサンへの好意が確かにあると言っていたジェーンの感情は、
先述の通り、この夫婦の環境下で”どうしようもなく恋に落ちた”というのは
何も有り得ない話ではないように思う。


その後のジェーンも、ジョナサンもまた
スティーブンのことを大事に思っていて、気に掛ける様子が伺える。
スティーブンもまた、
ジェーンのこと、そして彼女との間の結晶である子供たちのことも
とても誇りに思っているように感じた。
少し独特な関係性ではあるけれども、彼らにはそれぞれへの愛があったように思う。


おわりに

非常に長くなってしまいましたが、
この映画の良かったところは、ストーリーだけではなく、
役者の表現の上手さにもある。
スティーブン役のエディ・レッドメインの病状の表現は言うまでもなく、
微妙な感情の揺れもその限られた表現方法の中で見せてくれたのは凄かった。
ジェーン役のフェリシティ・ジョーンズと、
ジョナサン役のチャーリー・コックスも、惹かれゆく様と思いやりから出る葛藤を
丁寧に且つ理解し易く魅せてくれていたように感じました。


それから、作中の音声合成器を私はよく知らなかったのですが、
技術と発展というのは本当に凄いなと…
諦めなければ何でも出来る、というわけではないが、
人が限界を決めることは出来ないなという風には感じました。


とても良かったので、皆様もぜひ。